「繋がりたい」けど「繋がれない」人たち
そういう人は往々にしています。
「繋がりたい」と必死になればなるほど、人は遠ざかって行く気がします。
わたしはそういう人達を見て、あまりになにかを乞う姿に、不快感しか残らないこともしばしばです。
twitterとかでも#絵描きさんと繋がりたい に代表される「繋がりたい系」ハッシュが多数ありますが、
言外に「私がいいと思った人と繋がりたい」という意味もあり値踏みと選別の世界です。
今悩んでいるのは イラストに絵描き市場での市場価値の見出されない人たちが「繋がる」「構われる」事を希望した場合、私は自分を見ているようでとても悲しい気持ちになります。たいていそういうひとたちは無慈悲な「市場」の荒波にもまれ、非常に気の毒な帰結を見ます。
わたしは無反応よりもずっと、「優しい嘘」が嫌いなのですが、時折「嘘つき」になってしまいそうな自分に悩んでいます。自分のような思いをさせたくないという親心みたいなもんでしょうか。
絵描きにかぎらず、他人に絵なりコミュニケーションでなんらかをもたらせないものはだれからも相手にされない。それは悲しいことですが、冷徹な事実です。
それを経済に当てはめた場合、そういう人の行き着く先が「社会からあぶれた人」という気がします
(資質、能力の問題ではなく、他人からの評価の問題)