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星のカービィ邪道創作(ももメタ専

やっぱり理解できない

 

※私は「他人の感情が読みにくい」「自閉スペクトラム」と診断されています。その「思考型の一例」としてお読みください。全ての自閉スペクトラム症者が同様の思考をするわけではないことにご留意ください。

 

少し前、私は他人に大変辛辣な言葉を吐いた。

「絵のプロになりたい(イラストレーターをイメージしたと思われる)」という(学生さんたちに大してである。

 

申し訳ないのだがお二人ともイラストを拝見すると

どう見ても「他人に購買意欲などを想起させる」という「視覚的に多数の心に訴求する」スキルが必須の「絵のプロ」には程遠い実力であった。「自分が見えていない」のだ。

いわゆるこんな状態。

 

 

その際、

「夢を否定する人は嫌い」だの「人を非難するなんて許せない」だの

めちゃくちゃ叩かれましたが、今でも

私が非難される理由がわからない。

ネガティブな感想や感情を感じて、

「言うか」「言わないか」、それだけの違いである。

「ポジティブな」言葉なら彼らは諸手を挙げて歓迎するのだ。

「言った」場合、大抵は非難を受ける。

自閉スペクトラム症持ちの私はそれを「当たり前」と理解することができない。

 

実際彼らに誰一人「あなたはプロになれる実力です」と励ましたやつなんて見る限りいないのだ。「他人の夢に干渉するな」その一点張りである。

 別に親切心ではない。第三者の視線をありのまま伝えただけである。

(自己愛にまみれ盲目状態の)お二人の自己イメージを壊す言葉には違いないので、

「二度と会いたくない」だの猛烈な拒否反応を受けた。それについては問題はない。

どう感じるかは受け取り手の自由である。

 

その前に私は「今の実力ではプロは難しいのではないか」と率直に意見を言った。

その時も「プロになります!なってみせます!」だの全く聞く耳なし。

 

さらに後日彼らが年下の(プロも舌を巻くレベルの)絵師さんの絵をRTしながら「プロ絵師になる」となおもほざいているのを見て

正直【生きてて恥ずかしいレベル】だと思ったので、それもそのまま「名指しで」言ってしまった。

彼らがどう感じるかは正直「考えてなかった」。

傷つけるとか以前に「正直な感慨」をダイレクトに伝えたい、そのことしか考えてなかった。余波など全くお構い無し(これはADHDの衝動性も関与していると思う)。

 

私が多くの人から非難を受けたのは

「言葉選び」の問題なのだろうか。

「名指し」したことだろうか。

(当該の言葉(下線部)は彼らのフォロワーが拡散したゆえに多くの人に読まれた。私がその言葉を積極的に広げたわけではなく、名指しにより彼らに「恥をかかせた」のだとしたら、彼らに恥をかかせたのは拡散した「彼らのフォロワー」である。)

それとも「思ってても言ってはいけない」ことという、「タブー」に触れたからだろうか。おそらく後者だろう。

「普通の人」にとっては「言わない優しさ」が美徳なのだ。

「可愛らしい夢」と黙って見守るのが美徳なのだ。

心の中や、影で笑い者にしていたとしても、だ。

私にはその方がよほど、「個人的な正義」に反する。

(余談だが後日私が彼らの絵について抱いた感想が正しかったことが証明されてしまった。)

 

先の暴言については、個人的な「良心(エゴ)」を貫いた末の話である。

結局彼らは何も変わらなかった(どころか恨みを募らせるだけだった)ので、ただの徒労ではあったが。

 

結論を言うと、

私はネガティブなことについて「言わない美徳」が理解できないのである。

ゆえにしばしば私と、「良心的な」「一般の人々」と間に軋轢が起こるのだ。

 

一般向け自閉スペクトラム解説書では「自閉スペクトラムは他人の感情よりも「本当」のことを言うことを優先する」と言う要旨の解説がされており、私の行動も他人の感情を想像しづらい「自閉スペクトラムの症状の一種」として出てしまったと言うことなのだろう。

それを暴言行動の免罪符にしたいわけではなく、

 

「自閉スペクトラムも関与した、「一般人」とは異なる価値観を持っているため、私と一般人の間に「争いの種は尽きまじ」と言うことである。

 

この記事を書いた趣旨

「一般人の価値観の否定」や「自閉スペクトラム的社会的問題行動の理解啓発」ではなく、

『私はこんななので、敵を作っても何かを失ってもこんな生き方しかできない、しょうがない』と言う諦観と、決意表明みたいなものです。不利益面を勘案して、変われるならとっくに変わっているでしょう。

そしてそれが「自閉スペクトラムとしての性」なのだと思う。

 

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