断片/機械仕掛けの騎士③
アリアが歌う。
あるものはアクシズ・アークスの外周の通路から、
あるものは中継を通じて、彼女の姿を見る。
すべての社員があらゆる作業を止め、彼女の歌に聞き入る。
あるものはニコニコと笑う彼女の笑顔に魅了されながら、
あるものは、舌っ足らずな甘い声にうっとりしながら、
またあるものは、早く作業に戻りたい、と思いながら。
アクシズ・アークスの上下、左右…まさに、「中央」に設えられたステージに立つ彼女は、カンパニーを称える歌を歌う。
かつての社長秘書スザンナは「慰労」と称し、定期的に彼女自身による「コンサート」を行っていた。
彼女の甘く滑らかな歌声と、美しいピアノの音色に、社員たちは聞き惚れ、酔ったものだった。
しかし、彼女のクローンであるベアトリスはそれを好まなかった。
その代わりに。
彼女は社員向けの簡便な「娯楽」としてアリアを用意したのだ。
「カンパニーのために不眠不休で働く社員(せんし)にも、休息は必要よ…」
社長室で、巨大な電子モニターにはるか眼下で歌うアリアの姿を映しながら、二人はその姿を眺めていた。
「アナタも、ね。」
意味ありげに笑うベアトリスの意図を、腹心のメタナイトボーグ、M71105は理解できなかった。
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コンサートを終えたアリアがM71105のもとにやってくる。
「おにいさま!」
小さなまるい体を動かし、とことことかけてくる。そして彼のもとに着くと、誇らしげに彼を見上げた。
「きょうも一生懸命歌いましたよ!どうでしたか、ぼくの歌声?」
「ああ…とてもよかった」
M71105は優しくアリアの頭を撫でた。
すると彼女は嬉しそうに目を閉じ、彼の体に擦り寄ってくる。
『休息』…
M71105は彼女の存在にどこか、懐かしい感覚を覚えていた。ずっと昔から、一緒にいたような。
何故かはわからなかったが、彼はいつしか彼女を気に入り、用がない時でもなにかと彼女を連れ歩くようになっていた。
二人はアクシズ・アークスの垂直中央を真っ直ぐに跨ぐ、透明な通路を歩く。
「おなかすきましたねー」
「きょうのおひるはカレーライス、なのです!」
そして彼の少し前に飛び出すと、くるくると回りながら、カレーライス、カレーライス、と彼女は突拍子もない歌を歌い始めた。
そんなもの、あるわけがない。個々の社員の食事は全て完璧に配合された、栄養剤で賄われているのだ。アリアも。
それなのに、本当に「カレーライス」が出るかのように彼女は嬉しそうに歌うのだ。
カンパニー専属の歌姫であるアリアは社歌を歌うことしか許されていないが、
そんなこともお構い無しで彼女が気まぐれに歌う歌が、彼は好きだった。
しばらく目を閉じ、彼女の歌に聞き惚れていると、いつのまにか彼女は彼の側に戻っていた。
「おにーさま」
外套についた「ウサギ」のような「耳」を揺らし、双眼で彼を可愛らしく見つめる。
そんな彼女を、M71105は自分の身に引き寄せ、そのまま身の内に取り込んでしまいたいような、そんな衝動に駆られた。
社長室に、一件の雑音もない、清らかなピアノの音色が響く。奇しくも、それはスザンナ・ファミリア・ハルトマンのそれとまったく同じ。
ベアトリスは全て知っている。彼らの会話も、モノアイの記録も、さらにはメタナイトボーグの生体反応情報までもが全て彼女のもとにリアルタイムで届いているのだ。しかし彼女は、アリアの「契約違反」も、M71105が私情で彼女を連れ歩いていることも、
全てを見逃していた。
彼女はピアノをめったに弾かなかった。
そして誰かに聴かせることもなかった。M71105を除いては。
「もうすっかり、"アレ"に骨抜きになっているわね」
ベアトリスは独りごちた。
「所詮は、その程度の男よ…」
彼は、彼女のピアノの音色を愛していた。